


かつては全国で行われていた筆作りが、現在でも熊野で盛んに行われている理由としては、
次のようなことが考えられます。
- 熊野で筆作りが始まった当時は、交通の便が悪く、他の地域に働きに出ることが難しかった。
- 自宅で仕事ができるので、家を離れられない人にも出来るものだった。
- 子供の頃から筆作りを見ているので、仕事を早く覚えやすかった。
- 最初から優れた技術を取り入れたから。(有馬は、社寺筆を作っていたので、
他の産地より優れた技術を持っていたといわれています。) - 伝統工芸士をはじめとして、優れた指導者が町内にたくさんいる。
- 熟練を要するので、他地域に真似が出来ない。
- 多くの人々が筆を作っているので、多種類・大量の注文にも応じられる。
- 他の筆生産地が少なくなった。
- 後継者を育てている。
- 熊野に他の産業が入り込まなかった。
熊野の人々の努力と情熱によって、その優れた技術は、170年以上経った今でも、
脈々と受け継がれているのです。

【熊野と筆の出会い】
熊野町で筆作りが始まったのは江戸時代末期と言われています。
当時の熊野の人々は、主に農業で生計を立てていましたが、農地も少なく、それだけでは生活を支えきれず、農閑期には吉野(奈良県)地方や紀州(和歌山県)地方へ出稼ぎに出ていました。出稼ぎの帰りには奈良や大阪、有馬(兵庫県)地方で筆や墨を仕入れて、行商しながら熊野に帰っていました。これが熊野と筆を結びつけるきっかけとなったのです。
こうしたことが繰り返されている間に、天保5年(1835年)佐々木為次は13歳の時、有馬(兵庫県)に行きました。そこで彼は4年間、筆の作り方を学び、天保9年(1839年)17歳で熊野に帰ってきました。また、弘化3年(1846年)井上治平(井上弥助)は18歳の時、広島の浅野藩御用筆司吉田清蔵より、筆作りの技術を学びました。さらに同じころ、乙丸常太(音丸常太郎)も有馬(兵庫県)より、筆作りの技術を学び、熊野に帰ってきました。そして彼らは人々に技術を広め、筆作りは熊野に根を下ろし始めました。
【明治以降】
このように熊野に伝わった筆作りが、飛躍的に発展したのは、明治に入ってからです。
明治5年(1872年)に学校制度が出来、学校に行く子供が増えると、筆がより多く使われるようになりました。そのため、筆作りをする人が増え、良い筆を作る努力や工夫がいっそう進められるようになりました。
明治10年(1877年)には、第1回内国勧業博覧会に出品された熊野の筆が入賞しました。人々のこうした努力によって、熊野筆の名は、次第に全国に知られていくようになりました。
明治33年(1900年)に義務教育は4年間になり、学校に通う子供たちの数が増えると、筆はますます使われるようになりました。この頃から東京、大阪、奈良などでは、近代産業の発展とともに次第に筆作りが衰え始めました。一方、熊野には新しい産業が入らず、筆作りが地域を支える産業として発展していきました。昭和11年(1936年)には、7000万本もの筆を作るまでになりました。
【第二次世界大戦以降】
ところが、第二次世界大戦が起こると、原料が入りにくくなり、また、働く人を戦争に取られるなどの理由から、筆作りがほとんど出来なくなりました。
戦争が終わって2年後、学校での習字教育がなくなりました。このことは、熊野の筆作りにとって大きな問題で、人々は、この問題を解決するために知恵を出し合いました。そうして、このころ画筆や化粧筆作りに活路を求める人もありました。
そのうちに小学校で毛筆習字が許されるようになり、昭和33年(1958年)には、文部省の学習指導要領に取り入れられ、筆作りに再び希望が持てるようになりました。
【伝統的工芸品認定から現在まで】
昭和50年(1975年)には、熊野の筆産業が、中国地方で最初に伝統的工芸品として通商産業大臣(現在の経済産業大臣)より指定を受けました。
さらに平成16年(2004年)12月には、当時としては全国的にも珍しい団体商標を取得しました。これは標準文字での商標のため、「クマノフデ、クマノヒツ、クマノ」の称呼となるすべての文字が対象となります。
平成18年(2006年)1月には、熊野筆の統一ブランドマークも開発され、熊野で作られた製品である証として、広くPRされています。
今や熊野筆は、多く人々からその品質を認められ、世界中で親しまれています。

平成19年現在、約2,500人です。
※この数字には、直接筆を作る職人以外にも、筆の原料となる軸や金具を作る人や、
筆を入れる特殊な袋を作る人、筆業者の事務職や営業職の人なども含まれています。

平成18年度に実施した、産地概況調査の結果は以下のとおりです。
(販売量) | (販売額) | |
毛 筆 | 1,000万本 | 45億円 |
画 筆 | 1,200万本 | 25億円 |
化粧筆 | 2,800万本 | 40億円 |